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おでん

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それでも、二十五日の給料日に払うつもりでいたのが、何かの加減でそうはいかなくなったりすると、さすがに気がひけて、足が遠のくだけでなく、男はその前を通ることさえ憚って、わざわざ遠回りしてママと顔を合わせないようにして会社に出入りしたものだった。そんなときママは実にさりげなく電話を男に寄越して、「どうしたの、病気でもしたのかと思って。…そう、じゃあ今夜寄ってきなさいよ。え、支払い?莫迦ね、あなたのお勘定なんか当てにしてないわよ」と、明るく笑い飛ばすのである。男は五年ほどその出版社にいて、よそへ移っていったが、その間、年二回のボーナスでなんとかたまった勘定を整理するという、店にとっては歓迎出来ない客を続けたが、どんなに勘定が滞ろうがママはついに催促がましいことを一度も男に言わず仕舞いだった。それほどまでにしてもらったくせに男は勤めが変わると、ついつい足が遠のき、一年後にはぽっつり足を運ばなくなった。ときどき気にはなるのだが、その店のある界隈に行く用事もないまま三十数年が過ぎたあるとき、古い仕事仲間から電話があって「久し振りに飲もう」ということになり、先方が待ち合わせにその店を指定してきた。店の前まで来ると、路地はそのままだったが、両隣は小さいながらビルに建ち替わり、その間に挟まれてひしゃげそうに三十年の古びを見せて店があり、あの頃のままにおでんの匂いが道路に流れ漂っている。ガラスの引き戸を開けて中を覗くと、「いらっしゃい」という声と一緒に五十がらみの女の顔が男を振り向いた。どうも見覚えがあるのでよくよく見ると紛れもなく当時ここで働いていたアルバイトの娘だった。「暫く」と声をかけながら、腰を下ろすと、その頃は笑いかけたこともなかったその女がいかにも懐かしげに男に笑みをむけた。話によると、ママは三年前に亡くなり、店を引き継いだというではないか。「…あの頃、私アルバイトだなんて言ってたけど、実はあの人の娘だったんです。?」


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2008年05月12日 00:32に投稿されたエントリーのページです。

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